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東京高等裁判所 平成10年(ネ)5538号 判決

控訴人(本訴被告・反訴原告)

井手茂治

右訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

中野麻美

被控訴人(本訴原告・反訴被告)

株式会社日本入試センター

右代表者代表取締役

高宮英郎

右訴訟代理人弁護士

坂本政三

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  控訴人が被控訴人の代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることを確認する。

三  被控訴人は、控訴人に対し、二六五八万五四三〇円及びそのうち別紙利息債権一覧表の「元本額(円)」欄記載の各金員に対する、対応する「遅延損害金発生日」欄記載の日以降各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

四  被控訴人は、控訴人に対し、平成一〇年四月以降毎月二四日限り三五万九三〇〇円及びこれに対する当日二五日以降右支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

五  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

六  第三、四項につき仮執行宣言

第二  事案の概要

本件は、被控訴人が、代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフであった控訴人に浜松事務局課長への異動を命じたところ、これに従わなかったことから控訴人を解雇したが、控訴人は、右配転命令及び解雇は、控訴人と被控訴人の間の労働契約に反するのみならず、業務上の必要性はなく、不当労働行為又は権限の濫用に当たるから無効であると主張し、被控訴人に対し、反訴において、控訴人が代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることの確認及び賃金等の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等(争いのない事実については証拠を掲記しない。)

1  被控訴人

被控訴人は、各種入学試験等の模擬試験の実施等を目的とする株式会社であり、肩書地に本社を置き、浜松市に浜松事務局、全国の主要都市にある代々木ゼミナール関係の学校に支局を設置している。被控訴人は、学校法人高宮学園及び学校法人東朋学園とともに、いわゆる代々木ゼミナールグループを構成しており、代々木ゼミナールの校舎には、代々木校、原宿校、千駄ケ谷校、池袋校、立川校、町田校、横浜校、大船校、津田沼校、柏校、大宮校、高崎校、札幌校、仙台校、新潟校、浜松校、名古屋校、京都校、大阪校、大阪南校、神戸校、岡山校、広島校、小倉校、福岡校、熊本校等がある(乙一、二、四)。

2  労働契約

(一) 控訴人は、昭和六〇年四月一三日、「学校法人代々木ゼミナール副理事長竹村保昭」名義で採用内定の通知を受け(乙一一の1、2)、同年五月一日付けで被控訴人に雇用され、同月二日、代々木ゼミナール総務部広報課に配属された。総務部広報課は、その後広報企画部広報課に改められ、控訴人は、広報企画部広報課において、代々木ゼミナールの宣伝、広報、校内機関誌作成等の業務に従事していた。

(二) 被控訴人の給与規程(甲一)によれば、給与の計算期間は原則として前月一六日から当月一五日までをもって締切り、毎月二四日に給与を支給することとされている。控訴人は、後記3の解雇の時点で、次のとおり、月例賃金の支払を受けていた。

(1) 基本給  一八万〇一〇〇円

(2) 調整給   七万七三〇〇円

(3) 役付手当    三三〇〇円

(4) 家族手当  四万円

(5) 住宅手当  二万八二〇〇円

(6) 皆勤手当  一万三六〇〇円

3  本件配転命令及び本件解雇

(一) 本件配転命令

被控訴人は、平成五年七月三日、控訴人に対し、「代々木ゼミナール浜松事務局課長を命ず」旨を発令し(甲二の2、乙一四)、連絡文書により職場内に周知した。控訴人は、週休で自宅にいたが、同僚から連絡を受けて右発令の事実を知り、同月五日、出勤して右発令の事実を確認した。したがって、控訴人は、右同日、被控訴人から右配転命令(以下「本件配転命令」という。)の告知を受けたというべきである。なお、被控訴人は、控訴人に対し、同年八月四日、本件配転命令の辞令(甲二の1、乙一二)を交付した。

(二) 本件解雇

被控訴人は、平成五年八月六日、本件配転命令に従わないことを理由に控訴人を解雇する旨決定し、この意思表示を内容とする同月九日付けの解雇通知書(甲三、乙一七)を作成したが、同日中に控訴人に交付できなかったため、右同様の解雇の意思表示を内容とする同日付けの内容証明郵便(甲四、乙一八)を発送したが、受取り拒否で返戻された。そこで、被控訴人は、同月一二日、担当者が控訴人の自宅に電話をかけて控訴人の妻に同月九日付けで控訴人が解雇されたことを告げて伝言を依頼した。控訴人は、同月一六日、高宮副社長に電話をかけてきたので、高宮副社長は、控訴人に対し、右解雇の事実を告げ、もって、被控訴人は、控訴人に対し、口頭で本件配転命令に従わないことを理由に、控訴人を解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。なお、控訴人は、同月二〇日の団体交渉の席上で被控訴人から解雇通知書を受領した。

4  就業規則の定め(甲一)

(一) 被控訴人の就業規則には、次の定めがある(原則として原文のままとした。)。

(異動)

一二条一項

会社は、社員に対して業務上必要がある場合は、社員の就労場所または従事する業務の変更を命ずる。

一二条二項

社員は指定された期日までに赴任しなければならない。

(出向)

一三条一項

会社は、社員に対して、業務の都合により関連の学園・会社へ出向を命ずることがある。

一三条二項

社員の出向については別に定めるところによる。

(解雇)

二一条

社員がつぎの各号の一に該当するときは、解雇することがある。

④懲戒解雇に処せられたとき

⑩ その他前各号に準ずるやむを得ない事由があるとき

(懲戒解雇、諭旨解雇)

六七条

次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇とする。ただし、情状により諭旨解雇にとどめることがある。

③ 業務命令に従わないとき、または異動、転勤、降職等の業務命令を拒否したとき

(賞罰委員会)

七二条

表彰および懲戒処分については、その公正を期するため賞罰委員会を設ける。

(二) 被控訴人の出向規程には、次の定めがある(原則として原文のままとした。)。

(出向の意義)

二条

この規程で出向とは社員が在籍のまま、命令によって一定期間他社または他学園(以下出向先という)の業務に従事するため転出することをいう。

(出向の人事発令)

四条

会社は社員を出向させる場合、人事発令の七日前に本人に内示し、出向先における労働条件、担当する業務、出向期間、その他とくに必要と認められる事項を明示して、人事発令をするものとする。

二  主要な争点

1  本件配転命令は控訴人と被控訴人の労働契約に違反するか。

2  本件配転命令につき業務上の必要性はあったか。

3  本件配転命令及び本件解雇は、不当労働行為に当たり無効か。

4  本件配転命令及び本件解雇は、被控訴人が権限(解雇権)を濫用したもので無効か。

三  争点に関する被控訴人の主張

1  控訴人と被控訴人の労働契約

控訴人は、控訴人と被控訴人の間においては、勤務地については社員の意向や事情が尊重され、よほどの合理的な事情がない限り一方的な配置転換を受けることがないというのが、労働契約の内容になっていたと主張する。しかし、被控訴人の就業規則には、業務上必要がある場合は、被控訴人が社員の就労場所又は従事する業務の変更を命ずることができる旨の定めがあるから(一二条一項)、被控訴人は、社員の意向にかかわらず、社員に対し転勤を命じることができることは明らかであるから、控訴人の右主張は失当である。

また、控訴人は、採用面接の際、青木財務本部長から転居を伴う配置転換はないことを告げられ、これを承諾したと主張する。しかし、控訴人が入社した昭和六〇年ころを含め、昭和五四年から平成四年に至るまで、全国各地に二二の支局が開設され、新規採用者も将来的には新支局開設の担当者として、あるいは、開局後の増強、補充要員として各地に赴任することが想定され、期待もされていた。したがって、新規採用に当たっての説明会や採用面接の際、業務の都合による転勤や配置転換があることは当然のこととして説明され、これを前提として採用されていたから、青木財務本部長が転居を伴う配置転換はない旨を述べるようなことはあり得ない。したがって、よほどの合理的な事情がない限り一方的な配置命令を受けることはないというのが控訴人と被控訴人の労働契約の内容になっていたとの控訴人の主張は失当である。

2  配転の必要性と本件配転命令の有効性

(一) 被控訴人は、浜松市に浜松事務局を設置し、平成三年四月に代々木ゼミナール浜松(以下「浜松校」という。)を開校し、同校において通信衛星授業その他の予備校業務を営んでいる。

(二) 浜松校は、平成三年度は、大学受験本科生としてほぼ募集目標どおりの生徒数が得られるなど順調であったが、平成四年度、平成五年度は生徒数が大きく減少し、殊に平成五年度は損益分岐点を大きく割り込んで一億円以上の赤字が生じ、浜松校の存続が危うくなった。その原因は、河合塾が浜松駅前の新築ビルに開校し、大々的な生徒募集を行って多数の大学受験本科生を獲得したことにあったが、広報活動、高校訪問による営業活動の不足、職員教育の不足という浜松校自体に内在する原因もあった。

(三) 浜松校の職員は、平成五年三月時点では一二名であったが、事務局長塩澤卓能、事務局長代理鈴木雅幸のほか、予備校業務の経験のある職員は西村昌久、古田昌巳だけであった。浜松校の広報業務は、塩澤事務局長が兼務で担当していたが、新聞広告、交通広告、看板広告、電波広告、協賛広告等は行っていたものの、ダイレクトメール広告、パンフレットセットによる広告は行う余裕がなく、名古屋校に依頼してそのダイレクトメール広告に便乗するしかなかった。また、浜松校では、高校訪問は、従来西村昌久が一人で担当しており、手薄であったが、高校訪問を行うには特別な知識、経験を必要としないから、管理職の増員、若手職員に対する教育の充実、若手職員の成長により賄うことができるものであった。塩澤事務局長は、代々木ゼミナールグループの本部(以下「代々木本部」という。)に対し、平成五年五月、浜松校において従前不十分であった地区別、高校別のダイレクトメール等の広報活動を拡充することが必要であること、そのためには、広報業務の経験が豊富であり、地元の強い東京志向に応えることのできる人材として代々木本部における広報業務従事者の配置が望ましいこと、若手職員の指導、育成のために管理職一名の増員が必要であることを具申した。そこで、被控訴人は、検討の上、同年五月中旬、広報業務のベテランで、かつ、管理職として部下を指導、育成できる人材を浜松校へ一名配転することを決定し、広報業務全般に詳しく、広報活動が的確にできる人、高校訪問をして先方から信頼されるような誠実な人、管理職として若い職員を指導、育成できる資質を持った人を基準とし、人選に入った。

(四) 人選を担当した間瀬人事部長は、代々木本部の広報企画部のほか、首都圏校、名古屋校の広報業務担当者も検討の対象としたが、首都圏校の広報業務は代々木本部で大部分を行っており、首都圏校の広報業務担当者は単なる窓口業務を経験しているにすぎず、浜松校の求める水準に達しないこと、名古屋校からは三宅貴也広報課長が候補に上がったが、浜松校の塩澤事務局長が代々木本部の広報担当者を強く求めていたし、三宅貴也広報課長を異動させた場合の浜松校の組織運営上等の問題、名古屋校の業務遂行上の支障が懸念されたこと等から、より人材が豊富で代替性がある代々木本部の広報企画部の広報担当者の中から人選を進め、谷内課長と控訴人に絞って検討した。

谷内課長は、課長として広報業務全般に関与していたが、主な担当は新聞広告、テレビ、ラジオ等の電波媒体の広告、電車の中吊り、ポスター等であり、これらのレイアウト、デザインの仕事は単独で行う作業が多く、専門的、職人的技能を必要とし、同人が転出した場合、代替がきかないという事情があった。また、谷内課長は課長として課の実務の取りまとめも行っており、就任後日が浅く、学校法人東朋学園の事務局長を兼務していた安藤広報企画部長にとって、同人の転出は大きな痛手であった。他方、控訴人は、平成五年五月当時年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがあったから、浜松校で必要とする広報業務の内容等からすると最も適任であった。また、同人の業務は、何人かの課員との共同作業であって代替性があり、担当業務の範囲も谷内課長に比べれば狭く、同人が転出しても後輩が育ってきているので、抜けた穴はカバーできる状態にあった。

被控訴人は、右のような事情から控訴人を浜松校事務局課長に配転することを決定し、本件配転命令を発した。

3  本件解雇の有効性

(一) 控訴人は、赴任期限の平成五年七月一三日を過ぎても浜松に赴任せず、同月二二日に間瀬人事部長及び同月二六日に松田専務取締役から赴任するよう順次説得を受け、同月二九日には高宮副社長から、住宅については三DKの物件を既に確保し、家賃は被控訴人が負担すること、課長手当は月三万円であること等の説明を受け、赴任するよう説得されたにもかかわらず、本件配転命令が不当労働行為の疑いがあると言い出して赴任に応じなかった。

(二) 被控訴人は、控訴人が本件配転命令を拒否し続けるため、就業規則七二条に基づいて賞罰委員会を設置した。委員には、高宮副社長、松田専務、青木専務、月山総務部長及び間瀬人事部長が選任された。平成五年七月二二日及び同月二六日の第一回及び第二回賞罰委員会では、控訴人が説得に応じることを期待して更に説得を継続することとなったが、同年八月四日の第三回賞罰委員会では、同年七月二九日に高宮副社長が控訴人と話し合った結果を踏まえ、同月三日の本件配転命令の発令以来、被控訴人が控訴人に対し再三赴任を説得し、控訴人の要望をできるだけ受け入れ、経済的な面、住居に関する諸条件を提示し、最大限の努力をしてきたものの、控訴人は、配転を前向きに考えると言いながら配転拒否を続け、その理由も、当初の家庭の事情や経済的理由から、不当労働行為の疑いや組合活動の継続にすり替わってきており、これ以上説得しても無駄であり、また、赴任拒否による業務の停滞は限界に達しており放置できないという意見が出され、解雇もやむを得ないという結論となった。

賞罰委員会は、控訴人の行為は、就業規則六七条三号の「業務命令に従わないとき、または異動、転勤、降職等の業務命令を拒否したとき」に該当し、本来ならば懲戒解雇にすべきであるが、本人の将来を考慮し、就業規則二一条四項、一〇号を適用し、普通解雇にとどめることにした。被控訴人は、賞罰委員会の結論に基づき、同年八月六日、控訴人を同月九日付けで解雇することを決定した。

4  控訴人の主張に対する反論等

(一) 本件配転命令当時、控訴人の両親は、少なくとも月額三〇万円の厚生年金を受給していたものと推測されるから、控訴人の家族と別居しても十分生活していけたはずである。控訴人の妻は専業主婦であるから、控訴人が妻子と共に浜松に赴任することは可能であったし、控訴人が単身赴任することもできたはずである。また、被控訴人は、住宅手当を月額二万八〇〇〇円から月額四万円に増額した上、足りない部分については全額負担し、更に課長手当月額三万円を支給することとするなど、控訴人の経済的負担に十分に配慮したのであるから、控訴人の経済的負担の増大を理由に浜松への転居はできないとする控訴人の主張は成り立たない。

(二) 控訴人は、本件解雇後、他所に就労して収入を得ている。その収入の額は、住宅ローンを契約どおり返済してきたことを見ても、被控訴人において得ていた収入に近いものと推測できる。控訴人は、平成七年九月以降、東京日石オートガス株式会社に正社員の主任として勤務し、月例賃金は手取りで三一万円から三二万円程度、ボーナスは年間で月例賃金の三箇月分から四箇月分程度を受給しているから、控訴人の年間収入は、手取り額で四六五万円から五一二万円に達する。仮に、控訴人の被控訴人に対する賃金請求が認められるとすれば、右の金額は、控訴人の請求する月例賃金及び一時金から中間収入として控除されるべきである。

四  争点に関する控訴人の主張

1  控訴人と被控訴人の労働契約(争点1)

控訴人と被控訴人の間においては、勤務地については社員の意向が尊重され、よほどの合理的な事情がない限り一方的な配転命令を受けることはないということが、労働契約の内容になっていた。すなわち、控訴人は、代々木ゼミナールの名において、高宮理事長、竹村副理事長、青木財務本部長、菊池総務部長の採用面接を受け採用されたものであるが、その際、被控訴人の就業規則を示されていない。また、被控訴人は、採用面接の席上、青木財務本部長から、「待遇については給料が一七、一八万円程度で転勤はありません。それで大丈夫ですか。」と、賃金及び転居を伴う配置転換はないことを告げられ、「大丈夫です。」と答え、了解の意思表示をしている。

したがって、本件配転命令は、控訴人と被控訴人の労働契約に反するものである。

2  配転の必要性(争点2)

(一) (本件配転命令に関する被控訴人の説明の不十分性)

控訴人は、被控訴人に対し、本件配転命令の業務上の必要性や人選経過に関して問いただしたが、被控訴人が示した姿勢は極めて不誠実なもので、浜松校における生徒数の減少に対応した市場調査と開拓が課題となっており、浜松校の人的構成を拡充する必要があったこと、そのため、広報企画部広報課においてマーケティングやダイレクトメールの業務に従事したことのある控訴人に白羽の矢を立てたなどと説明しただけであり、控訴人が浜松に赴任しなければならない理由は、「広報におけるマーケティングとDMの知識・経験を活かす」というだけにとどまった。何故浜松校でそのような知識を活かす必要があるか、また、活かす機会がどこにあるか、控訴人が人選されるまでにどのような検討がされたのかについては、全く説明がなかった。

控訴人は、平成五年七月二九日、高宮本部長が控訴人と面談したが、ここでも、高宮本部長は、本件配転命令の経営上の必要性や人選の経過・合理性に関する説明は何もされず、「浜松を立て直したい」、「浜松はいい市場だから井手さんのポテンシャルに賭けた」としか言わず、三DKの月額六万三〇〇〇円のマンションを貸与すること、家賃分は住宅手当を支給すること、課長手当三万円を付けるという条件を提示しただけであった。

被控訴人が控訴人に対して配転理由及び人選経過を説明できなかったのは、控訴人を浜松に配転させなければならない合理的理由がなかったことを意味するばかりか、被控訴人が説明する理由が、本件配転命令を正当化するために作られた理由であることを疑わせるものといわなければならず、それは、本件配転命令の真の意図が、代々木本部からの控訴人の排除を狙った不当労働行為にあったからにほかならない。

(二) (浜松校への人材補充の必要性の主張立証が不十分であること)

被控訴人は、浜松校から、同校の生徒数が大きく減少したため、これを回復させるために人材の補充が求められたと主張するが、次の点で重大な疑問がある。

生徒数を減少されている地方校は浜松校以外にも多数あり、全国的に重大問題となっていた。ところが、被控訴人は、全国三一校の地方校全体の生徒数減少とその原因の調査分析を行わずに、浜松校からの要請を受けたというだけでこれに応じたというのである。なぜ、浜松校だけに住居費等でコストのかかる転居を伴う本件配転命令によって増員することにしたのか、被控訴人の説明には具体性も合理性もなく、経営上の必要性を裏付けるに足りる被控訴人の主張立証はない。被控訴人による学校設立は浜松校以外にも先例があり、サテラインによる授業も全国三一の校舎で実施されてきたもので、浜松校だけの特殊事情ではない。浜松校では生徒数が激減したからというが、実数でいうと、他校に比して浜松校の生徒数の減少はわずかであると思われる。浜松校の生徒数減少の対策としてダイレクトメールとマーケティング、ひいては広報業務全般に力を入れなければならないという被控訴人の説明は、一般論でしかなく、浜松校においてどのような知識・経験を有する人材が求められたのか、具体的な説明が不十分である。

浜松校の生徒数減少の対策としては、高校訪問の態勢を強化して予備校業務本来の生徒指導の実を上げることが最も重要となる。浜松校では、従来一人で高校訪問を行っていたというのであるから、全員で高校訪問に取り組む態勢を作ることが肝要であったはずである。経費を増大させる一名増員に合理性があったとはいえない。

被控訴人は、生徒が東京志向であるから、東京からの人材が求められたと主張するが、情報があふれている今日の時代にそのような理由に合理性はない。浜松校開設に際して配属された人材は、東京からは高校訪問を専門にしていた被控訴人の職員一人だけであり、他は大阪と名古屋から人材を投入した上、現地で採用しているのであって、このような過去の人事から見ても、右のような理由の合理性は疑わしい。被控訴人は、本件解雇以前から、控訴人が本件配転命令を拒否したときには、名古屋校の三宅を充てると決定していたのであり、東京本部にこだわって控訴人以外の人材を浜松校に投入すべく検討した形跡は皆無である。要するに、東京本部の人材であることは必要ではなかった。

(三) (人選の不合理性)

控訴人は、被控訴人に採用されて以来、一貫して代々木本部で広報業務に従事してきたが、そのほとんどを占めていたのはいわゆるダイレクトメール業務であった。控訴人は、その本部機能のほか、首都圏を統括する業務を担当してきた。控訴人には、高校訪問の経験もなければ、生徒指導の経験もなく、管理職の地位になかったので、部下を指導してきた経験も皆無であった。

控訴人は、高校名簿のオンラインシステムの構築と、これによる情報の収集・管理に携わってきた。控訴人は、平成四年八月に電話によるマーケティングを実施して、ダイレクトメールの広告評価に関する情報を収集し、これを分析評価して受験生に対する販売促進のための基本戦略を打ち出し、同年一二月には広報企画部担当者と理事長を交えた検討会議に提案した。その結果、ダイレクトメールと電話による二本立てですべての生徒に販売促進のために働きかけてみるという方針が決定され、三億五〇〇〇万円の予算が計上されることになった。このプロジェクトは平成五年春に大規模に実施され、集積されたデータは四五万件に及んだ。次には集積されたデータを評価する業務に移行していくはずであったが、その分析評価業務に移行する途上で、本件配転命令が発せられた。右のようなダイレクトメール業務を中心とする広報企画業務を通じて控訴人が蓄積してきたノウハウや経験は、その基本的性格から地方校で活かすことができるようなものではなく、むしろ、全国の情報を見渡し、収集する機能を有する本部でなければ発揮できないものであった。ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた控訴人のノウハウを短期間で後任者に引き継ぐことは全く不可能であった。

以上のように、控訴人は、被控訴人が浜松校において必要としている人材の条件さえ満たしていない。被控訴人が主張する人材の条件に最もふさわしい者は、河合塾の本拠地である名古屋校で広報、高校訪問、部下の指導に経験を積んできた三宅以外にはなかった。しかも、三宅は、自宅は隣接する愛知県にあり、独身であった。

(四) (本件解雇後の広報企画部広報課と浜松校における業務遂行状況)

広報企画部広報課で控訴人の業務を引き継いだ西岡は、ダイレクトメール発送業務の処理に当たり、その都度控訴人の指示を受けなければならない状況が続いた。控訴人が開発してきた高校名簿オンラインシステムの活用によるデータ収集・管理の業務は、西岡には手に負いかねる状況であったし、オンラインシステムをベースにして、受験生のニーズを把握し(マーケティング)、多様な情報をデータ処理して効果的な販売促進につなげるというダイレクトメール開発業務の遂行は全くできなくなった。特に、すべての生徒に販売促進のために働きかけてみるという方針の下にダイレクトメールと電話による二本立てで四五万件に及ぶデータが集積されたところであったが、その分析と評価を行えないままとなり、三億五〇〇〇万円の投資は無に帰した。他方、浜松校では、三宅が赴任し、担当エリアを拡大して高校訪問を実施し、翌年には生徒数を回復することができた。三宅こそが適任者であったことが実績により裏付けられた。

3  本件配転命令及び本件解雇の不当労働行為による無効(争点3)

(一) 控訴人は、平成四年五月八日、東京一般労組に加入したが、同労組は不況のあおりで多忙であったため、同年一一月二八日に札幌校の組合員と会合を持った後、同月三〇日、東京一般労組を脱退し、同年一二月九日、東京ユニオンに加入した。東京ユニオンは、平成五年四月六日、「代々木ゼミナールグループ支部対策会議」を設置し、同月二〇日には労働組合としての一〇項目の要求を決め、組織作りを展開し、新たな組合員を獲得していった。また、組合役員などの体制も決定し、控訴人は支部長に就任した。

(二) 平成五年七月三日、控訴人に対する本件配転命令及び副支部長相良由樹子に対する立川校副校長秘書への出向命令が発表された。東京ユニオンは、この人事は組合つぶしであると判断し、同月一一日、支部の公然化を決定し、同月一二日、酒井委員長、高井書記長が控訴人らとともに、労働組合結成通知書及び要求書を携えて代々木ゼミナールに赴いた。被控訴人の月山総務本部長は、労働組合結成通知書等の受取りを拒否した上、組合役員の写真を撮った。そこで、東京ユニオンは、同日東京都地方労働委員会に対してあっせんを申請し、その後団体交渉が行われるに至った。しかし、あっせんは不調に終わり、控訴人、相良及び組合は、同年八月九日、東京都地方労働委員会に対し不当労働行為救済命令申立てを行い、併せて実効確保措置勧告の申立てを行った。被控訴人は、支部公然化後、反組合的な言動をした。

(三) 被控訴人は、遅くとも平成五年七月一日ころまでには、控訴人が中心になって労働組合結成の準備等を行っていることを認識し、労働組合結成に打撃を与えようとして、控訴人が労働組合を結成しようとしたことの故をもって本件配転命令を発したものであるから、本件配転命令は、労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当し、無効である。そうすると、本件配転命令に従わないことを理由にされた本件解雇もまた無効である。

4  本件配転命令及び本件解雇の権限(解雇権)濫用(争点4)

(一) 生活上被る不利益

本件配転命令当時、控訴人は、妻ひろ美及び三人の子並びに控訴人の両親と現住所の一軒家に同居していた。三人の子は、小学校三年生の長男健太郎、小学校一年生の長女加奈子及び生後二箇月の次女美早であり、子供たちを育てるには控訴人と妻が力を合わせることが必要であった。七〇歳になる父と六三歳の母は、地域の中でボランティア活動や政治活動に従事することを生きがいとするようになり、忙しい毎日を送っていた。そのため、家事や育児は妻ひろ美が主に責任を負っており、控訴人は、帰宅すると、子供の勉強を見たり家事を手伝ったりしていた。控訴人は、妻ひろ美の出産後、それまで以上に二人の子供たちの面倒を見たり、家事を手伝わなければならなかった。

三年前に寮の管理人を辞した両親と同居するため、控訴人は、一軒家を増築しており、ローンの支払を負担しなければならなかった。当時の控訴人の手取り賃金は、月額二八万六九〇〇円であるが、毎月のローン返済額が八万円であり、食費、光熱費、教育費、保険医療費等の生計に必要な出費が毎月最低でも二一万円を要する状態であった。恒常的な生計費は月例賃金で賄うことはできず、夏及び冬に支給される一時金で補填していた。父親の年金は、両親のささやかな楽しみと、両親に万が一のことがあったときの準備のため必要であり、これを頼りにするわけにはいかなかった。

一家そろっての浜松転居は、高齢な両親の地域での活動の楽しみを奪うことになり、生活環境を激変させるもので好ましくなかった。また、被控訴人が用意した社宅も、当初は二DKであり、最終的には三DKを提示したものの、控訴人一家には手狭であった。控訴人の両親が東京に残る形で控訴人が妻子とともに浜松に転居することは、両親に何かあったときに控訴人らに大きな負担を強いるものであり、二重生活による支出の増加によって生計の維持を不可能にするものであった。控訴人の単身赴任は、右同様二重生活により生計の維持を不可能にするものであったし、妻の負担を甚大にするもので耐え難かった。

(二) 労働組合活動に及ぼす不利益

控訴人は、労働組合結成の中心メンバーであったことから、東京ユニオン代々木ゼミナール支部支部長の役職にあった。当時は、立ち上げたばかりの代々木ゼミナール支部を労働組合に育てていく重要な時期であり、控訴人は、その役割を十分に発揮することを求められる立場にあった。本件配転命令は、控訴人の労働組合活動を不可能にするものであった。

(三) まとめ

本件配転命令は、控訴人に対し、右のとおり重大な不利益を強いるものであるが、それだけの経営上の必要性も人選の合理性もないから、被控訴人の権限濫用によるものであり、無効である。

また、本件配転命令が被控訴人の権限濫用によるもので無効である以上、本件配転命令に応じないことを理由とする本件解雇も、解雇権の濫用に当たるから無効である。加えて、被控訴人は、社員に対して不利益を余儀なくさせる配転命令を発するには、事前に打診して話合いの機会を持ち、又は仮に事後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を具体的に説明すべき信義則上の義務を負う。しかるに、被控訴人は、右義務を怠り、本件配転命令に従わないとして本件解雇に及んだものであって、本件解雇は著しく信義にもとるから、権限濫用により無効である。

5  賃金請求

(一) 被控訴人においては、毎年四月に基本給部分と調整給部分とに一定の比率を乗じて昇給が行われることになっており、平成六年度以降平成九年度に至るまで毎年四月に昇給が行われてきた。昇給率は、平成六年度は平均三パーセント、平成七年度は平均1.5パーセント、平成八年度及び平成九年度は平均各一パーセントであった。控訴人も、本件解雇がなければ、少なくとも右各昇給率による昇給措置を受けたはずであるから、控訴人の平成六年度以降の基本給及び調整給の合計額は、平成六年度で二六万五一〇〇円、平成七年度で二六万八九〇〇円、平成八年度で二七万一五〇〇円及び平成九年度で二七万四二〇〇万円となる。前記第二、一(争いのない事実等)2(二)(3)ないし(6)の各手当を加算した合計額が、各年度において支払われるべき月例賃金額である。平成五年九月から平成一〇年三月まで毎月二四日に支払われるべき月例賃金額は、別紙利息債権一覧表1から5までの「元本額(円)」欄に記載したとおりである。

(二) 被控訴人においては、毎年六月末日と一二月末日に一時金が支給されることになっており、平成六年度以降平成九年度に至るまでに他の職員に対して支給された一時金の算定基準は、別紙一時金支給基準及び支給金額記載のとおりである。控訴人も、本件解雇がなければ、他の職員と同じ算定基準に基づいて平成五年度年末以降毎年六月末日と一二月末日に一時金が支給されたはずであり、その金額は、別紙一時金支給基準及び支給金額記載のとおりである。

(三) 被控訴人は、控訴人が平成七年九月以降、東京日石オートガス株式会社に正社員の主任として勤務して得た月例賃金、ボーナス(年収は手取り額で四六五万円から五一二万円に達する。)を、控訴人が請求する月例賃金及び一時金から中間収入として控除されるべきであると主張する。しかし、これまで述べてきたとおり、本件は不当労働行為に当たり、本件解雇に至る経緯も信義にもとるものであるのに対し、控訴人は、生計を維持するために働かざるを得ず、本件解雇の効力を争うという大きなハンディを自らの努力で克服して職に就いたものである。この事実によれば、被控訴人が指摘する中間収入は、本件解雇によって自動的に控訴人が受けられる性質のものではないから、労務を提供すべき債務を免れたこととの間に因果関係はないというべきであるし、被控訴人が不法な意図の下に本件解雇に及んでおきながら、控訴人が受けた収入を賃金金額から控除することを認めることは、信義則上到底容認できない。

6  よって、控訴人は、被控訴人に対し、控訴人が代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることの確認を求め、並びに、本件解雇の日である平成五年八月一六日から平成一〇年三月一五日までの間の月例賃金及び一時金合計額二六五八万五四三〇円(別紙利息債権一覧表1から5までの「元本額(円)」欄記載の各金員に基づいて対応する期間の月例賃金額を算出し、これらの合計額に別紙利息債権一覧表6から14までの各一時金合計額を加えた額)並びにそのうち別紙利息債権一覧表の「元本額(円)」欄記載の各金員に対する、対応する「遅延損害金発生日」欄記載の日以降各支払済みまでの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに平成一〇年四月以降毎月二四日限り月例賃金三五万九三〇〇円及びこれに対する当月二五日以降右支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  当裁判所の判断

本件全資料を検討した結果、当裁判所も、控訴人の請求はいずれも理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は以下のとおりである。

一  控訴人と被控訴人の労働契約について(争点1)

1  控訴人は、控訴人と被控訴人の間においては、勤務地については社員の意向を尊重し、よほどの合理的な事情がない限り一方的な配転命令を受けることはないということが、労働契約の内容になっていたこと、すなわち、控訴人は、高宮理事長、竹村副理事長、青木財務本部長、菊池総務部長の採用面接を受けて採用されたものであるが、その際、被控訴人の就業規則を示されていないし、採用面接の席上、青木財務本部長から、「待遇については給料が一七、一八万円程度で転勤はありません。それで大丈夫ですか。」と、賃金及び転居を伴う配置転換はないことを告げられ、これを了解したこと、したがって、本件配転命令は、控訴人と被控訴人の労働契約に反すると主張する。

2  よって、検討するに、前記第二、一(争いのない事実等)のとおり、被控訴人は、肩書地に本社を置き、浜松市に浜松事務局、全国の主要都市にある代々木ゼミナール関係の学校に支局を設置し、学校法人高宮学園及び学校法人東朋学園とともに、いわゆる代々木ゼミナールグループを構成しているが、代々木ゼミナールの校舎には、代々木校、原宿校、千駄ケ谷校、池袋校、立川校、町田校、横浜校、大船校、津田沼校、柏校、大宮校、高崎校、札幌校、仙台校、新潟校、浜松校、名古屋校、京都校、大阪校、大阪南校、神戸校、岡山校、広島校、小倉校、福岡校、熊本校等がある。そして、被控訴人の就業規則(甲一)には、異動につき「会社は、社員に対して業務上必要がある場合は、社員の就労場所または従事する業務の変更を命ずる。」、「社員は指定された期日までに赴任しなければならない。」との規定があり(一二条一項、二項)、出向につき「会社は、社員に対して、業務の都合により関連の学園・会社へ出向を命ずることがある。」、「社員の出向については別に定めるところによる。」との規定があり(一三条一項、二項)、さらに、被控訴人の出向規程(甲一)には、「この規程で出向とは社員が在籍のまま、命令によって一定期間他社または他学園(以下出向先という)の業務に従事するため転出することをいう。」、「会社は社員を出向させる場合、人事発令の七日前に本人に内示し、出向先における労働条件、担当する業務、出向期間、その他とくに必要と認められる事項を明示して、人事発令をするものとする。」との規定がある(二条、四条)。

そして、証拠(甲八、一〇、一九、三一、三二、乙八ないし一〇、六二、当審における証人成澤夏雄、原審における証人塩澤卓能、同控訴人本人)によれば、昭和六〇年五月から平成五年五月までの間に代々木ゼミナールグループ内で転居を伴う配転、出向を命じられた者は約九〇名に及んでおり、異動、出向先も代々木校から福岡事務所(当時)、名古屋校から代々木校、仙台校から代々木校、代々木校から新潟校、代々木校から大阪事務所(当時)、名古屋校から被控訴人広島支局、大阪校から被控訴人広島支局、代々木校から大阪校、被控訴人業務部企画課から被控訴人名古屋支局、代々木校から被控訴人広島支局、代々木校から被控訴人京都支局、代々木校から被控訴人札幌支局等への広域異動等が行われていたこと、被控訴人浜松事務局への異動を見ても、平成二年一二月二一日には西村昌久が被控訴人業務部企画課から、平成三年五月一六日には尾崎武彦が名古屋校教務部教科業務課チーフから異動していたこと、多くは家族同伴であるが、単身赴任もおり、既婚未婚の別なく配転され、配転理由も、開校準備や管理職・スタッフの補強、体制強化など、被控訴人の配転の必要性に基づくものがほとんどであることなどが認められる。

3  このように、代々木ゼミナールの学校は全国の主要都市にあり、そこに被控訴人の支局も設置されていることからすると、被控訴人は、その事業を拡大させていく以上、業務の必要に応じ、社員を全国規模で異動させることを当然に予定していたというべきであり、就業規則でも、業務上の必要がある場合は社員の就労場所等の変更を命じることができるとされ、業務上の理由により転居を伴う配転、出向を命じられた社員が数多く見られることは前記のとおりである。そうすると、被控訴人と控訴人の間において、よほど合理的な理由がない限り、一方的な配転命令を受けることはないということが、労働契約の内容になっていたと解することは到底できないし、採用面接において転居を伴う配置転換はないと言われたとの控訴人の主張も採用し難い。

加えて、証拠(乙八ないし一〇、六三、原審における控訴人本人)によれば、控訴人は、昭和六〇年三月二一日、朝日新聞に掲載された「代々木ゼミナール、JEC日本入試センター」名義の「学校職員募集―代々木ゼミナール」という広告を見て応募したが、この広告には「勤務地▽代々木・横浜・大船・津田沼」という記載があったこと、控訴人が当時入手した代々木ゼミナールの昭和六〇年度の募集要項には、勤務について、「職種 教科編集部、進学指導部をはじめとして、各校各部署および各グループ」、「配属 代々木ゼミナールグループ 1 学校法人代々木ゼミナール各校(中略)3 日本入試センター本部および各支局(以下略)」、「勤務地①東京②神奈川③千葉④札幌⑤仙台⑥名古屋⑦大阪⑧福岡⑨新潟」と記載されていたこと、この当時は、代々木ゼミナールグループとして開校していたのは、代々木校、原宿校、大船校、津田沼校、名古屋校、札幌校、仙台校、新潟事務所、大阪事務所、福岡事務所だけがあったことが認められる。以上によれば、控訴人は、採用に際し、将来勤務地が変更される可能性があることを十分予測していたと推認することができる。

なお、被控訴人の現行の就業規則は、平成四年三月一日に改正されたものであり、控訴人が被控訴人に入社した昭和六〇年当時の就業規則においては、配転につき、三三条が「業務上の都合によって所属箇所を変更することがある。」と規定しているだけであることが認められる(甲一、乙七三)。控訴人は、右の就業規則を掲げ、控訴人が入社した当時の就業規則には転居を伴う配転を義務づける規定はなく、したがって、控訴人と被控訴人との間においては、転居を伴う配転を予定しない労働契約が成立したと指摘する。しかし、前記2のとおり、控訴人が被控訴人に入社した当時、被控訴人においては、現に転居を伴う全国規模の広域異動が行われていたこと、被控訴人は全国の主要都市に支局を設置して事業を拡大しており、右拡大に伴い更に社員を効率的に配転する必要があったことなどに照らすと、平成四年三月一日の改正前は、右の旧就業規則三三条が転居を伴う配転をすることを定めており、被控訴人においては現実にそのような運用がされていたと認めるのが相当である。したがって、控訴人が入社した当時、被控訴人には転居を伴う配転を義務づける就業規則はなかったということはできない。

4  よって、被控訴人は、業務上の必要性があれば、個別的同意なしに控訴人の勤務場所を決定し、転勤を命じて労務の履行を求める権限を有していたと解すべきであり、被控訴人と控訴人の間においては、よほどの合理的な事情がない限り一方的な配転命令を受けることはないということが、労働契約の内容になっていたということはできないから、この点に関する控訴人の主張は理由がない。

二  配転の必要性について(争点2)

前記一のとおり、被控訴人は、業務上の必要に応じ、その裁量により控訴人の勤務場所を決定することができるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、被控訴人の転勤を命じる権限も、無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することは許されないのであって、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合でも、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってされたものであるとき若しくは労働者に対し社会通念上甘受すべき程度を著しく超える経済的、社会的、精神的不利益を負わせるものであるとき等の特段の事情の存する場合には、当該転勤命令は権利の濫用になるというべきである。そして、右の業務上の必要性についても、当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定することは相当ではなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定するのが相当である(最高裁昭和六一年七月一四日第二小法廷判決・裁判集民事一四八号二八一頁、判例時報一一九八号一四九頁、判例タイムズ六〇六号三〇頁参照)。

そこで、まず本件配転命令に業務上の必要性(浜松校の管理職増員の必要性と人選の合理性)があったと認められるか否かを検討する。

1  浜松校の管理職増員の必要性

証拠(甲五ないし七、一一、一二、一九、原審における証人松田不器穂、同塩澤卓能及び同安藤繁)によれば、被控訴人は、平成三年一月浜松市に浜松事務局を設置し、事務局長に代々木ゼミナール名古屋校から異動させた塩澤卓能、事務局長代理に代々木ゼミナール名古屋校から異動させた鈴木雅幸を充てたほか、東京から西村昌久、代々木ゼミナール名古屋校から古田昌巳を異動させ、以上四名の予備校業務の経験のある職員を中心に、同年二月一日から業務を開始させ、同年四月に浜松校を開校し、以来同校において大学受験予備校、中学、高校の補習授業、模擬試験、通信衛星授業等の業務を営んでいること、職員は右四名のほかは現地で採用し、同年一二月には合計九名、平成四年四月には生徒管理を強化すべく合計一二名に増員したこと、浜松校は、平成三年度は、大学受験本科生としてほぼ募集目標の五〇〇名に近い四九四名の生徒数が得られるなど順調であったが、平成四年度は三〇二名、平成五年度は一六九名と、生徒数が大きく減少し、殊に平成五年度は、河合塾が浜松駅前の新築ビルに開校し、大々的な生徒募集を行って多数の大学受験本科生を獲得したため、浜松校の生徒数は損益分岐点を大きく割り込む事態となったこと、浜松校では、従来、西村一人で五三校の高校訪問を行い、塩澤事務局長が兼務で広報業務を行っていたため、高校訪問による営業活動、広報活動が十分とはいえなかったこと、職員教育の不足という浜松校自体に内在する原因もあったこと、そこで、塩澤事務局長は、高校訪問による営業活動とダイレクトメールを中心として広報活動を強化し、現地採用者の指導育成の観点から、浜松校に管理職を一名増員する必要があると考え、代々木本部に対し、同年五月、右の事情を具申したこと、被控訴人は、同月中旬、この申出は理由があると判断し、高校訪問による営業活動と広報活動の態勢強化のために浜松校に管理職一名を増員することを決定したことを認めることができる。

右事実によれば、被控訴人においては、浜松校に管理職を増員する経営上の必要があったと認めることができる。

これに対し、控訴人は、生徒数を減少させている地方校が浜松校以外にも多数あるのに、浜松校だけについては何故に住居費等でコストのかかる転居を伴う本件配転命令によって増員することにしたのか、具体的、合理的な経営上の必要性を裏付けるに足りる事情の主張立証がないこと、被控訴人による学校設立は浜松校以外にも先例があり、サテラインによる授業も全国三一の校舎で実施されてきたもので、浜松校だけの特殊事情ではないこと、実数でいうと、他校に比して浜松校の生徒数の減少はわずかであると思われること、浜松校の生徒数減少の対策としてダイレクトメールとマーケティング、ひいては広報業務全般に力を入れなければならないという被控訴人の説明は、一般論でしかなく、浜松校においてどのような知識・経験を有する人材が求められたのか、具体的な説明が不十分であることを主張する。

しかしながら、浜松校の生徒数が平成四年度、平成五年度に大きく減少し、競争相手の予備校の進出に対抗する必要が生じていたのであるから、被控訴人が、塩澤事務局長の具申に基づき、浜松校において高校訪問による営業活動、広報活動の態勢を強化し、現地採用者の指導育成の観点から、浜松校に管理職を一名増員する必要があると判断したことにつき、経験上著しい不合理性があるということはできず、控訴人の主張は採用することができない。

2  人選の合理性

証拠(甲一一ないし一四、一六、二二、原審における証人松田不器穂及び同安藤繁)によれば、浜松校に配転する候補として、広報業務全般に精通し、高校訪問をして先方から信頼されるような誠実な人柄で、管理職として若い職員を指導できる資質を持った人を基準として人選が進められたこと、人選の対象は代々木本部の広報企画部に限られなかったが、首都圏校の広報業務は代々木本部で大部分を行っていること等の理由から、結局、代々木本部の広報企画部の谷内課長及び控訴人に絞って検討されたこと、二人のうちでは、職務の内容、課の取りまとめの役割の面から見て、谷内課長の方が控訴人よりも抜けた場合の穴が大きいと判断されたこと、控訴人は、年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがあったことに加え、業務能力や人柄等を総合し、浜松校に増員する管理職に適任であると判断されたこと、その結果、平成五年六月下旬、控訴人を浜松校に配転することが決定されたことを認めることができる。

これに対し、控訴人は、代々木本部で広報業務に従事してきたが、そのほとんどがいわゆるダイレクトメール業務であり、首都圏を統括する業務も担当してきたものの、高校訪問の経験もなければ、生徒指導の経験もなく、管理職の地位になかったので、部下を指導してきた経験も皆無であったこと、控訴人は、高校名簿のオンラインシステムの構築とこれによる情報の収集・管理に携わり、ダイレクトメールと電話による二本立てですべての生徒に販売促進のために働きかけるという方針の下に、三億五〇〇〇万円が投じられ、集積データ四五万件に及ぶプロジェクトは実施途上にあったこと、右のようなダイレクトメール業務を中心とする広報業務を通じて控訴人が蓄積してきたノウハウや経験は、その基本的性格から地方校で活かすことができるようなものでは毛頭なく、むしろ、全国の情報を見渡し、収集する機能を有する本部でなければ発揮できないものであったこと、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた控訴人のノウハウを短期間で後任者に引き継ぐことは全く不可能であったことなどを理由に、本件配転命令は人選の合理性がないと主張する。

しかし、証拠(乙五九の1ないし3、六一、原審における控訴人本人)によれば、控訴人が手掛けてきた業務の大半は、地方校での広報業務とは質的に異なる全国規模のものであったが、控訴人は、そのような全国規模の業務遂行として、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムの開発に携わり、モニタリングを担当し、あるいはダイレクトメールと電話による「販売促進」(PR)とを一体化した広報活動を企画、立案し、決裁を取って実施に漕ぎ着ける等、重要なプロジェクトの企画、立案、実施等に関与し、種々のノウハウを身に付けてきたことを認めることができる。そして、控訴人がこのような業務を遂行することによって得た経験は、地方校が独自の広報業務を行う場合にも有益であり、控訴人は、規模は小さくなるとはいえ、新たな職務に企画力、実行力を活かして積極的に取り組んでいくことが可能であったと認められるから、控訴人が地方校ではそれまでの業務上の経験を活かすことができないということには、十分な根拠がないといわざるを得ない。また、控訴人に高校訪問の経験、生徒指導の経験、部下を指導してきた経験がなかったことも、新たにそのような経験をすることの障害となるようなものではなく、控訴人は、むしろ、新たな経験を積むことによって一層能力の幅を広げることができたはずである。さらに、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた控訴人のノウハウを短期間で引き継ぐことに困難が伴ったとしても、被控訴人が、その不利益を考慮してもなお、経営上の必要から、控訴人を浜松校に配転させることを選択することは、経営、人事に関する被控訴人の裁量の範囲内ということができる。

そうすると、被控訴人が、前記のように判断して控訴人を浜松校事務局課長に配転することを決定したことには合理性があり、控訴人の主張は理由がない。

三  本件配転命令及び本件解雇と不当労働行為について(争点3)

1 控訴人は、被控訴人は、遅くとも平成五年七月一日ころまでに、控訴人が中心になって労働組合結成の準備等を行っていることを認識し、これに打撃を与えるべく、控訴人が労働組合を結成しようとしたことの故をもって本件配転命令を発したものであるから、本件配転命令は不当労働行為に該当し無効であると主張するところ、労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」に当たるかどうかは、使用者の当該行為が、対象となる労働者個人の労働契約上の権利ないし利益を侵害するかという観点だけでなく、他の労働者らの組合活動意思を萎縮させる等、労働者らによる組合活動一般を抑圧ないし制約するものであるか否かの観点からも判断するのが相当である。本件配転命令は、控訴人を浜松校事務局課長に昇進させるものではあるが、反面、控訴人から代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての職務上の地位を喪失させるものであるから、仮に、控訴人が労働組合を結成しようとしたため、被控訴人の経営側幹部において、控訴人を排除して組合活動を抑制しようという意図をもって本件配転命令を発したとすれば、労働者による組合活動一般を抑圧ないし制約するものであることを否定することはできず、したがって、本件配転命令は、労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」に当たるものと解するのが相当である。

そこで、被控訴人の経営側幹部に右のような不当労働行為意思があったか否かを検討するが、仮に同幹部らに不当労働行為意思が認められたとしても、前記二で述べたように、本件配転命令には業務上の必要性があったことが認められるから、不当労働行為に当たるか否かは、右のいずれが決定的動機であったかにより判断すべきである(最高裁昭和六〇年四月二三日第三小法廷判決・民集三九巻三号七三〇頁参照。

2  控訴人は、被撞訴人の経営側幹部らは、本件配転命令よりもかなり前から、控訴人らが労働組合結成の準備行動を、警戒心を持って監視し、かつ、これを抑制しようとしていたと主張するところ、証拠(甲一六、乙二四、二五、二七、二八、四六の1ないし4、四七ないし五〇、五一の1、2、五五、六三、六四の1ないし4、原審における証人安藤繁、同高井晃、同控訴人本人)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 控訴人は、平成三年一一月、札幌校に労働組合が設立されたことを知り、職員の意見を反映させるには労働組合を作る必要があると考えるようになり、平成四年五月八日、他の四名とともに東京一般労働組合を訪れ、同組合に加入するに至り、同組合の指導を受けながら、仲間を増やすための説得活動及びそのためのリストアップを進め、労働組合に関する学習会と情報報告会を行った。控訴人は、オルグ対象者のリストが完成したので、同年九月一〇日付けで「N・S・研究会」名義で「代々木校にニューウェーブをおこそう」と題する文書を作成し、代々木校の一部の職員にその内容を話し、あるいは手渡す等してモニタリングを開始した。しかし、東京一般労働組合は、折からの不況で多忙となり、代々木ゼミナールの労働組合設立に手が回らないようになってきたため、控訴人は、紹介を受けて個人加盟の東京ユニオンと接触した。

(二)平成四年一一月、代々木ゼミナールにおいて、「職員の現在担当している職務に対する意見・評価、今後担当したい職務についての希望等を把握することにより、職員の能力開発および適正配置、研修教育等の資料とする」という目的で自己申告制度が実施されることになり、控訴人も、自己申告書に記入して同月一六日ころ提出したが、自己申告書の勤務地に関する欄には、「転居を伴う転勤はできない」という項目に丸を付けた。

(三) 平成四年一一月二八日、東京で札幌校の組合員と代々木校の組合員が集まり、「全国代々木ゼミナール労働組合連合会結成総会」が開催されたが、控訴人らは、東京一般労働組合に属しているままでは代々木校に労働組合を結成する機を逸することになるのではないかと懸念し、同月三〇日に東京一般労働組合から脱退し、同年一二月九日、東京ユニオンに加入した。そして、控訴人らは、労働基準法、労働組合法の勉強会を繰り返し、労働組合の結成を準備し、仲間を募るきっかけを作るために各種イベントを計画するようになった。なお、広報企画部所属の小笠原樹也(以下「小笠原」という。)も、このころから労働組合の設立活動に積極的に参加するようになり、平成五年二月二五日に東京ユニオンに加入した。また、相良由樹子も、同年二月ころから控訴人らの活動に参加するようになった。

(四) 平成五年三月三日、被控訴人の間瀬人事部長から控訴人に対し、広報課の業務について聞きたいという面談の申入れがあり、同月九日に控訴人が同部長と面談したが、同部長は、面談の中で札幌校の組合の件に言及し、控訴人に配転の意思を尋ねた。

(五) 控訴人は、組合に参加する仲間を募るためのイベントを催すべく、小笠原が同期会、花見の会及びボウリング大会を企画し、小笠原を責任者、連絡先とするチラシを作成して、同期会のチラシ(乙四二、五〇)及び花見の会のチラシ(乙二四)並びに氏名、所属部課、内線番号、住所及び電話番号等の記入欄のある「皆行大東京夜桜観賞周遊 申込書」と題する申込書(甲一六)を、平成五年三月一一日ころに各セクションの知合いを通じて職員に配布した。こうして、同月一九日に同期会が、同月二六日に花見の会がそれぞれ開催された。

(六) 平成五年三月二三日、広報企画部の谷内課長が小笠原に対し、「花見の会のチラシと申込書の件で部長連中が続々代々木に集まってきている。お前は大丈夫か。」と述べた。また、同日、安藤広報企画部長が小笠原に対し、花見の会のチラシと申込書を示して、「何人くらい来るのか、申込書は何に使うのか、まずいな。」と述べた。さらに、安藤広報企画部長は、同日午前中に控訴人が同月二六日の有給休暇を請求した際には何も述べなかったが、その日の午後に小笠原が三日後の花見の会の場所取りのため有給休暇を請求した際、業務上の支障と自分の管理能力に言及して難色を示した。しかし、時季変更権の行使はせず、有給休暇を認めた。

(七) 平成五年三月二五日、控訴人や小笠原らが就業後、翌日の花見の会の打合せをしていた場所に安藤広報企画部長が来て、参加者のリストをくれと求めた。

(八) 平成五年三月二六日、安藤広報企画部長も花見の会に参加したところ、同部長は杉山に対し、花見の会の席上で参加者の写真を撮ってくれと依頼し、杉山がこれに応じて写真を撮り、小笠原が現像したが、同部長から右の写真の交付を求められなかった。

(九) 平成五年四月六日、東京ユニオンに「代々木ゼミナールグループ支部対策会議」が設置され、同月二〇日、一〇項目要求が確定され、控訴人は、それ以後、代々木校の中で説得活動を開始し、同月二七日、労働組合設立のための拠点となる事務所を確保した。

(一〇) 本件配転命令の後である平成五年七月一二日、東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長、控訴人、相良、小笠原らが組合結成の通知書等(乙一九の1ないし3)を持参して総務部の月山本部長に面会に行き、説明を始めようとしたが、月山本部長は話が違うと言って高井書記長らの話を聞こうとせず、机の引き出しからインスタントカメラを取り出して東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長の顔写真を撮った。また、同月二〇日、高宮理事長及び松田統括本部長が出席し、代々木ゼミナールの部課長等を集めて会合が持たれたが、その席上で、高宮理事長が、控訴人が自分のために仲間を労働組合に引き込んだとして非難し、松田統括本部長も、代々木ゼミナールの一枚岩を壊そうとすることは許されないと発言した。

(一一) 平成五年七月二二日、月山本部長は、同月二八日一三時三〇分の打合せの必要資料として、次の項目等を記載した文書を安藤広報企画部長に渡し、同月二六日までに準備するよう求めたが、その項目等は、「(1) JEC組織図 全国組織・人数・業務内容(詳しく)」、「(2) 浜松校の組織図・業務内容」、「(3) JEC概要書・謄本・設立年月日・目的他」、「(4) 井手の元所属の業務内容・本人の担当業務内容」、「(5) 職員採用時に大卒・高卒・女子の会社としての採用目的(例幹部候補)」、「(6) 過去に遠方転勤等の事例及配転等の発令時期(定期的か…)」、「地方へ転勤に対する会社としての本人への配慮(住居・生活権)」、「7/3付発令の五名の必要性 何故当人か」、「自己申告書の書代(本人のもの)」、「井手解雇後の後任人選 ・JEC籍→JEC籍 ・他籍→出向(この方が良い)」、「浜松校にて井手の担当する所属業務内容」、「井手に対し赴任のすすめ 上記を賞罰委員会議事録に」というものであった。そこで、安藤広報企画部長は、同月二五日ころ、人事本部長宛に同月一日付けで、控訴人の後任に西岡茂雄を希望する旨を記載した「理由書」と題する書面(乙四六の2)及び「本人の業務内容」と題する書面(乙四六の3)を作成し、同月二八日の打合せには、右「理由書」と題する書面のほか、「本人の業務内容」と題する書面、「広報企画部広報課」と題する書面(乙四六の4、甲二一)を用意した。

3  なお、控訴人は、被控訴人の経営者側幹部が控訴人らの行動を監視し、抑制しようとしたことを裏付ける事実として、以下の(一)ないし(三)の事実を挙げるが、これらを認めるに足る証拠はない。

(一) 控訴人は、平成五年三月一九日の同期会開催後、株式会社高宮学園の関連会社である株式会社三鳩社の専務取締役である杉尾栄一(以下「杉尾」という。)が、参加者の人数や小笠原について職員に尋ねたと供述している。

しかし、杉尾は、この事実を明確に否定しているし(甲二七)、杉尾から参加者の人数や小笠原について尋ねられた職員の氏名は明らかでなく、控訴人が誰からどのような経緯で右の事実を伝え聞いたかも明らかでないことからすると、控訴人の右の供述を採用することはできない。

(二) 控訴人は、平成五年五月一三日、株式会社代々木ライブラリーの田中常務から、杉尾が控訴人のことをマークしている、気をつけるようにと注意を促されたと供述している。

しかし、杉尾は、田中常務に電話をかけて右の事実を確認したところ、田中常務は、控訴人と食事をしたことはあったが、杉尾が控訴人のことをマークしている、気を付けるようにという話をしたことはないしするはずもない、控訴人は唐突に根も葉もない話を作り上げたようだがどういうつもりなのかと憤っていたと述べている(甲二七)。また、田中常務の話だけでは、杉尾がいかなる理由から控訴人をマークしているのか明確でないし、証拠(原審における控訴人本人)によれば、田中常務は、控訴人とはダイレクトメールの関係で仕事上の付き合いがあるだけであることが認められるから、なぜ控訴人にそのような話をしたかということ自体不自然である。これらの点を考慮すると、控訴人の右の供述を採用することはできない。

(三) 原審における証人高井晃及び控訴人本人は、平成五年六月二九日、代々木校の近くの居酒屋「酒場のドン」において、気分が高揚して組合活動のことを話題に盛り上がり、そのことがその場近くに居合わせた者(杉尾の部下など)から被控訴人の経営者側幹部に通報されたため、人事課の奥村課長代理が細谷からその際の参集者を聴取したと供述しており、控訴人は、これは本件配転命令における右幹部らの不当労働行為意思を裏付ける重要な事情の一つであると主張する。

しかし、原審における証人松田不器穂は、「酒場のドン」でのやり取りについて、被控訴人は誰からも通報を受けていないと証言しており、杉尾は、自分の部下に確認したところ、当日そこに居合わせた者はいなかったと述べ(甲二七)、奥村課長代理は、細谷と飲食し、最近行った店の話になった際、細谷が三日ほど前に「酒場のドン」に行ったときに広報課の者と一緒になったと答えたのを聴いただけであると述べ(甲二人)、被控訴人において参集者等を調査したことを否定している。また、「酒場のドン」で杉尾の部下と居合わせたとしても、他の来客もいる居酒屋の中における飲酒した上での会話が、どれだけ正確に伝わったかは疑問であるし、それが杉尾に、さらには被控訴人の経営者側幹部に伝わったというのは、高井晃及び控訴人の推測の域を出るものではない。

結局、証人高井晃及び控訴人の供述は、本件配転命令の後、振り返ってみてあの時に不用意な発言でもあって何かをつかまれたのではないかと推測したという限度では理解できるものの、その推測が証拠により裏付けられていないといわざるを得ないから、採用することはできない。

4  そこで、前記2のうち、本件配転命令前の事実から、被控訴人の経営者側幹部が、控訴人らによる労働組合の結成を警戒し、控訴人らの行動を監視していたと認めることができるか否かを検討するに、前記2(四)の間瀬人事部長と控訴人の面談の内容は、控訴人らの行動を監視するものとは思われない。しかし、平成五年三月二六日の花見の会に関する前記2(六)、(七)の事実は、見方によっては、被控訴人の経営者側幹部の指示を受けた谷内課長や安藤広報企画部長が、控訴人らの行動を監視し、抑制しようとしたと解することができなくはない。

この点につき、原審における証人安藤繁は、前記2(六)の小笠原から有給休暇が請求された際の対応につき、同月二六日は春期講習会の初講日に当たっており、生徒が多数来校するので、できればどちらか出てきて欲しい、たかが花見の場所取りのためにDM担当者が二人(控訴人と小笠原)そろって休んで業務がストップしては困る、申請があればなんでも許可するのでは自分の管理能力を問われるという趣旨から、有給休暇の取得に難色を示したものの、結局は許可したと証言し、控訴人らの行動を監視、抑制するような意図を有していたことを否定している。確かに、花見の会の当日が春期講習会の初講日で多数の生徒が来校することが予想されていたとすると、安藤広報企画部長が、DM担当者二人が有給休暇を取れば、業務運営上支障が生ずるのではないかとの懸念を抱いたとしても不自然ではない。そうすると、同月二三日、谷内課長が小笠原に対し、「花見の会のチラシと申込書の件で部長連中が続々代々木に集まってきている、お前は大丈夫か。」と述べたこと、安藤広報企画部長が小笠原に対し、花見の会のチラシと申込書を示して、「何人くらい来るのか、申込書は何に使うのか、まずいな。」と述べたこと、同月二五日、安藤広報企画部長が花見の会の参加者のリストを要求したことは、いずれも右のような管理職の立場から、業務運営上の支障に懸念を抱いた上での言動であったものと理解することも可能である。なお、前記2(八)のとおり、安藤広報企画部長は、杉山に花見の会の参加者の写真を撮るよう依頼したが、その後、現像された写真の交付を依頼していないのであり、この事実は、安藤広報企画部長が花見の会の参加者を把握し、控訴人らの行動を監視、抑制する意図を有していなかったことを窺わせるものである。

そうすると、前記2(六)、(七)の事実から直ちに、被控訴人の経営者側幹部から指示を受けた谷内課長及び安藤広報企画部長が、花見の会を労働組合結成の準備行動と見て警戒し、これを抑制しようとしたとまで認めることはできないというべきである。

5 以上の認定によれば、被控訴人の経営者側幹部は、本件配転命令の後の控訴人らによる労働組合結成の通知直後、その動きに対して神経を尖らせていたことは明らかであるが、本件配転命令よりも前から、代々木校における労働組合設立の動きを警戒し、これを監視し、抑制しようとしていたと認めることは困難であり、そうすると、本件配転命令が被控訴人の不当労働行為に当たると認めるに足る証拠はない。

もっとも、控訴人に対する本件配転命令は、控訴人とともに労働組合結成のため中心的に活動していた副支部長の相良由樹子に対する出向命令とともに発令されたことからすると、控訴人に本件配転命令をするにつき、被控訴人の経営者側幹部に労働組合結成のため中心的に活動していた控訴人を代々木本部から排除する意図が全くなかったと断定することも疑問が残る。しかし、仮に被控訴人の経営者側幹部に右のような意図があったとしても、前記二のとおり、浜松校の生徒数は平成四年度、平成五年度に大きく減少し、競争相手の予備校の進出に対抗する必要が生じていたことから、被控訴人は、塩澤事務局長の具申に基づき、浜松校において高校訪問による営業活動、広報活動の態勢を強化し、現地採用者の指導育成の観点から、浜松校に管理職を一名増員する必要があると判断し、年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがある控訴人を、浜松校に増員する管理職として適任であると判断したものである。そうすると、本件配転命令の決定的な動機は、右の業務上の必要性にあったと認めるのが相当であるから、本件配転命令が不当労働行為に当たるということはできないし、本件配転命令に反することを理由としてされた本件解雇も不当労働行為に当たるということはできない。

四  本件配転命令及び本件解雇と権限(解雇権)濫用について(争点4)

控訴人は、本件配転命令は控訴人の生活及び労働組合活動に重大な不利益を及ぼすもので、被控訴人の権限濫用によるものであるから無効であると主張する。そこで、本件配転命令は、控訴人に社会通念上甘受すべき程度を著しく超える経済的、社会的、精神的不利益を負わせるものであるか否かを検討する。

1 証拠(乙六九、原審における控訴人本人)によれば、本件配転命令当時、控訴人は、妻ひろ美及び三人の子並びに控訴人の両親と現住所の一軒家に同居していたこと、三人の子は、小学校三年生の長男健太郎、小学校一年生の長女加奈子及び生後二箇月の次女美早であり、その養育には控訴人と妻が協力し合うことが必要であったこと、七〇歳になる父と六三歳になる母は、地域の中でボランティア活動や政治活動に従事していたこと、家事や育児は専業主婦であるひろ美が主に責任を負っており、控訴人は、帰宅すると、子供の勉強を見たり家事を手伝ったりしていたこと、控訴人は、一軒家を増築し、ローンの支払を負担しなければならなかったこと、当時の控訴人の手取り賃金は、月額二八万六九〇〇円であるが、毎月のローンの返済額は八万円であったこと、被控訴人が用意した三DKの社宅でも、控訴人一家全員が移り住むには手狭であったこと、また、控訴人の両親が東京に残り控訴人が妻子とともに浜松に転居した場合は、二重生活による支出の増加が見込まれ、控訴人の単身赴任も、右同様支出の増加をもたらすものであったことが認められる。

しかしながら、証拠(甲一二、原審における証人松田不器穂、同控訴人本人)によれば、被控訴人は、浜松に三DKの社宅を用意し、その賃料全額を賄う住宅手当の支払を申し出ていた上、課長手当月額三万円を支給することとして控訴人の経済的負担に対する配慮をしていたこと、本件配転命令当時、三人の子供も控訴人の両親も、特に健康に問題は見られなかったこと、控訴人の父は年金を受給していたことが認められる。そうすると、仮に控訴人が単身赴任し、又は、妻子とともに浜松の社宅に転居しても、東京と浜松は新幹線を利用すれば概ね三時間以内で往来できる距離であるから、子供の養育や両親の介護の必要性に応じて協力することが著しく困難であるとはいえないし、ローンの負担が残っていたとはいえ、住宅手当及び課長手当の支給に加え、両親の協力も仰ぐならば、一家が経済的に困窮するとは到底考えられない。これらの認定と昭和六〇年五月から平成五年五月までの間に代々木ゼミナールグループ内で転居を伴って配転、出向を命じられた者は、家族同伴、単身赴任も含め約九〇名に及んでいるとの前記認定の事実を総合すると、本件配転命令が控訴人に与える経済的、社会的、精神的不利益は、転勤に伴い社会通念上甘受すべき程度を著しく超えるものと認めることはできない。

2 また、控訴人は、前記三2のとおり、労働組合結成の中心メンバーであり、東京ユニオン代々木ゼミナール支部支部長の役職にあり、したがって、立ち上げたばかりの代々木ゼミナール支部を労働組合として育てていく重要な時期で、支部長としての役割を十分に発揮することが求められる立場にあったから、本件配転命令は、控訴人の労働組合活動を不可能にするものであり、深刻な不利益を被ると主張する。

しかし、右労働組合の結成準備において、代々木校に数多くの協力者がいたことは明らかであるし、控訴人が浜松校に転勤した後であっても、新幹線を用いて上京し、電話やファクシミリを活用して右の協力者らと連絡を取り合うなどすることにより、代々木校の労働組合の活動に協力することは、さほど困難ではなかったはずである。そうすると、控訴人が転勤することにより、組合の活動が著しく困難を来すとまで断定することはできず、したがって、本件配転命令は、控訴人に対し、転勤に伴い通常甘受すべき程度を著しく超える社会的不利益を与えるものと認めるには足りない。

3  よって、本件配転命令は、権利の濫用に当たらないと解するのが相当であり、そうであれば、本件解雇が解雇権の濫用により無効であるということもできない。

なお、控訴人は、被控訴人は、社員に対し不利益を余儀なくさせる配転命令を発するには、事前に打診して話合いの機会を持ち、又は仮に事後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を具体的に説明すべき信義則上の義務を負うところ、被控訴人は、右義務を怠り、本件配転命令に従わないことを理由に本件解雇に及んだものであって、本件解雇は著しく信義にもとるから、権限濫用により無効であると主張する。

確かに、控訴人は、前記三2(二)のとおり、自己申告書中「転居を伴う転勤はできない」との項目に丸を付けて被控訴人に提出していたのであるから、被控訴人としては、本件配転命令に先立ち、事前に打診して話合いの機会を持ち、控訴人を納得させるように努めることが相当であったし、本件配転命令発令後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を可能な限り具体的に説明して控訴人を納得させることが望ましかったということができるであろう。

しかしながら、証拠(甲三五、原審における控訴人本人)によれば、被控訴人は、慣例に従い、控訴人に対し事前に異動の内示をしなかったが、本件配転命令後の平成五年七月五日、間瀬人事部長が、控訴人に対し、浜松校における生徒数の減少に対応した市場調査と開拓が課題となっており、浜松校の人的構成を拡充する必要があったこと、そのため広報企画部広報課においてマーケティングやダイレクトメールの業務に従事したことのある控訴人に白羽の矢を立てたこと、自己申告書によって申告し、希望しても、すべてそのまま取り上げられるとは限らないことが明記されていることなどを説明し、同月七日、高宮副社長も控訴人に対し、同趣旨の説明をしていることが認められるところであって、被控訴人としては、控訴人に対し、配転の必要性、人選の合理性についても一応の説明を行ったものということができる。控訴人が問題としているのは、何故控訴人が浜松でマーケティングやダイレクトメールの知識を活かす必要があるか、活かす機会がどこにあるか、控訴人が人選されるまでにどのような検討がされたのかについて、控訴人が納得できるような説明がされなかったことであるが、被控訴人が控訴人に対し、右以上に人事に関する秘密にわたるような事項にまで詳細に説明し、控訴人の納得を得るようにしなければならない信義則上の義務を負うと解することはできない。

したがって、本件解雇は著しく信義にもとるという控訴人の右の主張を採用することはできない。

五  結論

以上のように、控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官小林正 裁判官萩原秀紀)

別紙利息債権一覧表〈省略〉

別紙一時金支給基準及び支給金額〈省略〉

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